「心にはものを・・・・・」

8月8日の「物施」の記事はスカウトには難しすぎるとの意見もあり、蛇足ですが少し補足させていただこうと思います。

「心にはものをそえよ、ものには心をそえよ」と言うことばについて、
「ものには心をそえよ」の部分はそのままで分かり易いと思う。「人にものを差し上げるときはその人を思いやる心をそえる。たとえば感謝の気持ちや自分の喜びの心をそえる、また悲しみのときも分かち合っている心をそえる」ことだと理解できるでしょう。

一方「心にはものをそえよ」の方は、「心だけを差し上げることはいけないの?何かものがないといけないの?」という疑問が生じるかもしれない。けれど、そうではなく「心を差し上げる」ということは形が見えないだけに伝えることはとても難しいことです。相手を思う気持ちを「ことば」や「文章」、「態度」や「表情」などで表したとしても、そこに例えば一本の野の花を添えたとすればらどうでしょうか?もらった人はその花を見てそこはかとなく相手の気持ちを感じ取ることができるのではないかと思うのです。その時それは単なる野の花ではなく、心を伝える橋渡しのような役割をしてくれるのです。決して高価なものは必要ないのです。むしろ高価なものでない方が心が伝わることも多いのではないかと私は思うのです。

昔の武将、太田道灌(おおた どうかん)という人に次のような逸話があります。
道灌がまだ若いころ、ある日馬で出かけていると急な雨に降られたので、通りがかった近くの農家に立ち寄り「蓑(みの)」=(わらで作った雨具)を貸してくれるよう頼みました。ところが農家は貧しく、蓑などなかったのです。応対に出た少女は困った末、庭に生えていた山吹の花の一枝を黙って道灌に差し出したのでした。

「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき」
  「後拾遺和歌集(ごじゅういわかしゅう) 兼明親王(かねあきらしんのう) 作」
少女はこの和歌を知っていたのでしょう。和歌の中の「実のひとつだに」を「蓑ひとつだに」と置きかえ、蓑がないことを解かってもらおうとして山吹の花を差し出したのでした。

「蓑はないのです、申し訳ありません」とことばで言うより、一枝の花の方が我が家の貧しさを恥じ、申し訳なく切ないまでの心がはるかに伝わったのではないかと思います。「心にはものをそえよ」の究極かもしれませんね。


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