物施

今、日本では裁判員制度導入が進められ人間が人間を裁くことが可能か否か、が差し迫った問題となってきている。それと通じる一般論として、人が人に物の施しをする場合、どこから見ても公正で、誰から見ても公平に分配されることは本当に可能なのだろうか、と疑問に思う。

分配の条件が該当する人には一応公平に物が行き渡るかも知れない。けれど該当しない条件の人たちにとってそれが差別感や疎外感を生み、人間同士の間に何かと物議を醸す原因になることはないだろうか?与える方は大方の人が喜んでくれ、自分も与える喜びを感じて満足できればそれで良い。「もらえる」「もらえない」はその人の運、不運もあるから仕方がない、と大上段に切り捨ててしまうことはないのだろうか?

古い話で恐縮だが、戦後のアメリカ進駐軍に「ギブミー、ギブミー」と群がってちゃっかりチューインガムやチョコレートを手に入れる子がいたり、一方ではお母さんに「アメリカさんにそんなものもらっちゃいけません」と言われているのだろうか遠巻きに、でも指をくわえながら見ている子がいたりしている映像があったことを折にふれ思い出す。当のアメリカさんは公平など気にもせず、ただ気分が良いから、面白いからとばら撒いているだけだから致し方ないが、もらわない子にとっては罪作りな行動に違いない。

「心にはものをそえよ。ものには心をそえよ」という言葉があるそうです。ものだけをあげることは返って人間の乞食根性を生み出す結果になるから十分に気をつけなさい、と言うことらしい。


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入鹿池
入鹿池(2008-05-02 19:24)

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